yuitamura

大学3年、休学中にデンマークで考えたこと。

2018/11/23

アイデンティティについて、考えたこと

 

わたしは、ここに来る以前に大学で

アイデンティティとは何か、という事や

移民難民や在日外国人のそれについて

学ぶことが多かった

 

アイデンティティという言葉に対する

辞書による定義や、教授や生徒たちが前提としている意味合いは理解できた

 

けれど、

純日本人で、日本語を話し、ずうっと日本に住んでいるわたしは

いまいち、その単語を、自分のものに出来ずにいた

 

 

今生活している学校には、いろんな国籍やバックグラウンドを持つ30人くらいの生徒がいるのだけれど

その中のひとりに、アメリカにルーツを持つ、わたしとちょうど同い年の男性がいる

 

彼は、何年もデンマークに住んでいて、デンマーク語も難なく理解できる

この学校の学期が修了したら、もともと住んでいた家のある

デンマークのオールボーという所に帰るとも言っていた

 

けれど、彼は間違いなく、アメリカ合衆国に原点をもつ人間である、という

アイデンティティをもっていると思うのだ

 

彼は、まあ、見た目でいえば典型的なアメリカンボーイであるし

話す英語も、ばりばりのアメリカ訛り

でも、そういうことではなく

 

彼は、ほんとうにアメリカ合衆国という国について詳しいのだ

彼と会話をしていると、

今日はアメリカにとってこういう意味を持つ日なんだ、と教えてくれたり

アメリカはこうだけど、日本だとどうなの?と尋ねてきたり

話し始めたら、言葉通り、際限がないほど

実に詳しいのだ

それと同時に、勉強熱心でもある

 

単に出自がどうだから、というだけではなく

彼の広大な興味関心の海の、ちょうど真ん中に、

アメリカという概念が立体的に浮かんでいるんではないかなと、わたしは推測している

 

それはきっと彼の過去や

彼の有する知識が、そうさせている

 

と同時に、

彼は、自分で選んでそうしている

そんな気がするのだ

 

そして、わたしは、ああそうか、

と腑に落ちた

 

 

アイデンティティなるものって

出身国、言語、文化、宗教、見ため、在住地、などの

その人をとりまく外部要因によって決定づけられるように見えがちだけれど

 

本来ならば、その本人が

どういうアイデンティティを持ちたいかを、

本人の意思によって決定づけられうるべき、もの

 

そういうものなのではないのかな、というかそういうものであるべきなのではないかな

 

あなたがなにを拠り所にしていくかは、あなたがきめていい