yuitamura

大学3年、休学中にデンマークで考えたこと。

2018/11/26

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週に一度、木曜日の夕食後に

カルチャーイブニングなるものがある

 

一夜につき3、4人の生徒が順番に、

まとまった時間、みんなの前で話をするというもの

話す内容は、自由に決められる

 

毎週、みんなの新しい一面を垣間見ることができるこの時間が、とても心地よくて好きなのだ

 

 

 

 

 

 

2019/05/02

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平成から、令和に

 

新しい元号が発表されたのは、まだデンマークにいた時のこと

そのニュースを見て

なんだか遠くの自国が愛おしくなったのを、覚えている

 

デンマーク人の友人に

見て、日本の新しい時代の名前なのよ!と、うきうきで報告したのだけど

へえ、なんて意味?ふーん、あまり興味そそられないなあ

という、塩対応

 

今思うと、そうか、デンマークには元号という概念がない

 

当事者以外は

日常がただ、線として刻まれていくだけ、というところだけど

 

時代が区切られることで

こういう、時代と時代の間にいるという、不思議な感覚とか

お祝いムードの中で、新しく、清々しい気持ちで朝を迎えることは

想像していた以上に良いね

 

 

日本に帰ってきて、最初の方は

今まで水を溜めてきたバケツが、ひっくり返ってしまい

すでに、いろんな事があった

 

留学は、行って終わりではなくて

そこでの思考や、やっとの思いで染み付いた習慣のようなものを背負って

自分の場所へ帰ったあとも、やっぱり、続いていく

 

 

最近は、留学中に読めなくてうずうずしていた

日本語の小説や雑誌、あらゆる本を、貪るように

毎日毎日読んでいる

 

ひとつめの学校でお世話になったある日本人の女性の

素敵な、デンマーク人ボーイフレンドからお勧めされた

村上春樹ねじまき鳥クロニクル

 

ふたつめの学校の集会で観たドキュメンタリーで知った、

エレナ・フェッランテの、ナポリ物語

 

あとは、谷川俊太郎の詩集、

デンマーククリスチャニアについての本、

アガサクリスティーアクロイド殺人事件、など

 

気持ちの動きによって

読む本を変えて、続けて何時間も読んだりするので

手当たり次第、同時進行で読んでしまうのだ

そんなように、日々を過ごしている

 

令和のはじまり、

今年は日本で過ごせなかった、お正月のような

特有の、浮き足立ったムードを存分に楽しみつつ

 

 

 

 

2019/04/20

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日本に帰ってきて、一週間ほど経つ

 

デンマークでの生活を

”日常”というフォルダから “過去”に移行させることは

思っていたよりも自分を感傷的にさせて

デンマークそのものも、そこにいた人たちも、思い出も

遠い夢のように思えてしまうことが

辛くて堪らなかった

 

デンマークを発つ少し前と、日本に着いてからの数日は、そんな風だった

 

デンマーク留学がスタートした、ほんとうに最初の頃

朝起きてからすぐに、英語で始まる会話が想像以上にきつかったし

自分だけひとり、置いてけぼりみたいな妙な孤独感をいつも抱いていたし

どのテーブルで夕食を食べるか、一々気にするのもあまり好きではなかった

授業や集会がデンマーク語だけで進んでしまうことだって、しょっちゅうあった

 

苦労をあげれば、ほんとうにきりがない

毎日、戦っていたと、思う

 

けれど、こういう風に

わたしにデンマークの断片を、温度を含んで教えてくれた大切な人や

自由な思想と、人びとの親密さでできているような、デンマークという国に

まだ別れを言いたくない、という

強い感情を抱けたことは

とても幸福だと、思う

 

デンマークコペンハーゲンから

ロシアのモスクワを経由し

成田へ、という帰路

 

日本に近づくにつれだんだん増えていく日本語や、

チケット売り場のお姉さんの、事務的でてきぱきとした手さばき、

ちょっと主張が強すぎる、広告や看板なんかに

なんだか変な安堵感と、少しの寂しさを覚えた

 

東京に着くと

景色が今までとまったく違うことに、驚く

でもそれは、東京が8ヶ月のうちに

びっくりするほど変化していたわけではなく

デンマークであたらしい当たり前を知ったことによって

わたしの見方が変わったのだと、気付く

 

そして、目についた違和感に対して、

これはどうしてだろうかと、よく考えるようになった

 

デンマークを発つ前

環境にまたあたらしく、自分が規定されてしまうことを

少し恐れていたのだけれど

そんなことはまったくなく

経験は、じぶんに色濃く残っていたみたいだ

 

やり遂げたのだな、というのと

ここから始まるのだな、という

二重の、あたらしい気持ちで

寂しさの感情で緩んでいた靴紐を、結び直して

今日をしっかり、歩まなければね

 

デンマークに居た、この8ヶ月間を

綺麗な宝石のように、ただ箱の中にしまっておくようなことには、したくないのよ

おもしろくなるのは、きっとこれから

2019/03/24

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時が過ぎるのは早いもので

 

目まぐるしく、自分なりに

必死に日々を追っている間に

今だったはずの時間が、じわじわと

過去になっていて

 

8ヶ月前、日本から飛び出すまでは

ただただ遠いだけだった、デンマークから

去るときが、もう直ぐそこに近づいている

 

ほんとうに、時よ止まれ、と思わずにはいられない

まだまだ、足りないのよ

もっと知りたいし、自分にしっかり同化させたい

環境が変わっても、ぶれずに

吸収したものを、自分に纏っていたいから

 

周りの目を気にしない、

友人の言葉を借りると ’鈍感力’ がある、デンマークの人々

人の目線を気にせず

自分の意思を、清々しく、尊重する

 

困った人がいれば必ず手を貸すし

見知らぬ人でも、目が合えば柔らかく笑顔をくれる

シャイだけれど、お酒が入るとびっくりするくらい、オープンになる

そして一旦、懐に入ってしまえば

全力で心を開いてくれる

 

親しい人と一緒に過ごす今この瞬間を

何よりも、大切にする

そういう、温かいエネルギーで生きている

 

これが、温度を持った経験を通じて

わたしに染み込んでくれた、

デンマークの表象

 

 

一方で

色の違う、ふたつのホイスコーレに

渡り住む中で、分かったこともある

 

幸せの国、デンマークと呼ばれるここは

確かに、温かい文化も

恣意的で自由な生活ができる、恵まれた環境も、ある

日本で読んだ本に書いてあった、その通りだと、痛感してきた

 

けれど

そんな国で育ってきたからこそ

思い悩む若者を目にしてきたのも事実

 

人生を自分の自由な意思で

選択をできる環境にいるからこそ

社会へ出るモチベーションに悩んだり

シビアな未来を拒み、将来が霧に包まれるような不安を抱える

 

大学の図書館でデンマークについての本を読んでいただけだったならば

少しも想像しなかったことだ

 

今年も、幸福度世界2位に輝いたデンマークだけれど

その大きな事実に内包されている

隠れてしまいがちな、小さい事実を見つけられたことは

とても、意味がある

 

あたりまえ、とされる事実を

反対の立場からも考える

小さな事実をすくい上げる

 

そういう想像力は

卓上の作業からではなく

経験の中から生まれることなのだろうね

 

経験する、思考する

その繰り返し

 

そうやって

経験を糧にして

深い思考力と、広い視野をもつ

そういう風に、なりたい

 

 

 

2019/03/07

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変な犬、タゲル

名前の綴りは分からないのだけど

皆がタゲル、タゲルと呼ぶ

 

この学校は、犬を学校に連れてくることが許されていて

建物のなかを、生徒たちが連れてきた

何匹かの犬たちが、ノーリードでのんびりと暮らしている

 

ここの生徒たちのように

犬たちも個性が強くて、すごく愛おしい

 

タゲルは、教頭先生の犬で

ちょっと背筋の曲がったような出で立ちがよく彼に似ていて、面白い

タゲルは皆に変な犬、weirdだ、と言われ放題

 

気分屋な犬

こちらから距離を縮めようとすると、逃げる

かと思えば、朝の集会のときに部屋へ入ってきて

ほら皆撫でよ、とばかりに

椅子の下をぐるぐる歩き回る

 

冬の寒い日には、他の犬が外で走り回る中

彼だけはずっとブルブルと震えているのを見て

くすりと、心がほぐされた

 

 

 

寝食を全員が共にする学校に、

犬を連れてきて良い、とする事

 

初日、少し驚いたけれど

とてもリラックスしていて、デンマーク的だなあと

ぽつりと考えたのを、覚えている

 

こんな、犬たちのいる日常が

とてもおかしくて愛おしい

 

 

2019/02/28

 

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vinterdråbe、英語ではスノードロップ

下を向いた、白い小さな花が力強くあちこちに咲いているのを目にした

冬が明けて、一番はじめに咲く花、らしい

 

そういう事に詳しいデンマーク人、さすがだなあ、と改めて感心する

きっと生まれてから当たり前のように

季節を、丁寧に享受する生活をしてきたんだね

 

冬はクリスマスに向けてオーナメントを手作り

夏はベリーを積んでジャムを作り

また林檎を木から積んでアップルパイやジュースを作る

そういう、季節の変化を摘む、楽しみ方をしている

 

 

気が付けば、日本へ帰るまでの

カウントダウンが始まっていて

 

此処へ来た頃は

あと何日で帰れる、家族や友達会える、と

密かに、カウントダウンのカレンダーを見て元気を出していたものだけれど

 

最近では

もうこれしか残されていないのか、という気持ちで

恐る恐る、確認するようになった

 

 

理由のひとつは、単純

ユイ、ユイと心地よく名前を呼んでくれる友人が沢山、増えた

 

孤独だったあの頃は

まだ、記号でしかなかったデンマーク語の海に漂うようで

毎日毎日、修行のように

自分の声と対峙し、考え、自分のペースで動いていた

孤独を愛す、ということについて考えながら

 

孤独であることは、決して

わたしにとってマイナスにはならなかった

日本に留まっていたら、なりえなかった状況を

自分にとって、どうプラスに転じることができるか

どう考えて生きたらよいか

そういう風に、考えていたから

 

孤独を愛するよう、意識しはじめてからは

自分の感性がよく働いて

心根からくる意思が聞こえてくるような感覚があった

 

もうひとつ大きい成果といえば

精神的に自立するコツ、のようなものを得た

言い換えれば、ひとりで居ることを怖がらなくなった

 

周りの目を気にしすぎる、ということが

わたしの、かつてからの弱点

今思えば、狭くて均質な、学校という環境が

そんなわたしを形作ったのだと思っているけれど

それは、変えようのない事実で

変える事があるとするならば、今なのだと気付いた

 

デンマークの人たちは、さっぱりとした個人主義

びっくりするほど、周りに興味がない

 

その上彼らには

人は違って当たり前という前提がある

だから、人との差異は基本的に受け入れるし

他の人が何をしていようと、自分は自分

といった感じ

 

そんな環境は、自分を変えるにはもってこいだと思った

 

ひとりで行動することを、気にしない度胸

それを身に付けて帰ることができたら、わたしはここに来た意味がある

そういう気持ちで過ごしたのが

最初の一ヶ月

 

その結果、

だんだんと同じようなペースを待つ人たちが分かり、仲良くなってゆき

本当の意味での孤独では、なくなった

 

ハイ、ユイ、と気軽に話しかけてくれる友人がいるというのは

やはり居心地のいいもので

あの頃より何倍も、リラックスして暮らせているのが分かる

 

結局、何かを変えるには

ほんの少しの、意識の積み重ね

 

孤独を愛することを知ってからは

自分のペースという地盤が固まって

ひとに流されることがなくなったけれど

 

日本に帰って、自分を取り巻く環境が変わっても

そう在れるのか、というのは

最近よく考えることだ

 

そうで在りたい、と思う

けれど環境に規定される部分は、想像以上に大きい

だから、帰国までもう少しゆっくりかけて、意識的に

修行を続けて、いきたいな