yuitamura

大学3年、休学中にデンマークで考えたこと。

2018/12/08

最近は目覚めるとまず、外の暗さに驚く

 

デンマークに着いた夏の頃は、夜9時まで夕方みたいに明るくて

その現象のことが頭になかったわたしは、ぽつんと取り残されたように、驚いていた

 

そのくらい日照時間が長かった夏とは反対に

今は朝も昼も夜も、ぼんやりと暗い

 

今週は久しぶりに高熱がでてしまった

薬を日本からじゅうぶんに持ってこなかったので

寝る、とにかく寝るということしか対策がなく

久しぶりに心細くもなった

 

けれど周りの心配が温かくて

こういうときに、自分の近くに居てくれている人たちの温度や、その距離に気付く

ほんとうに有難い

 

そして余談だけれど、こういう病気の時は

日本食がやたらと恋しくなるということも知った

 

海外生活における「はじめて」の何かは

鏡のように、いつも知らない自分を教えてくれる

わたしは、こういうものを目にすると、こういう風に感じたり、反応するのね

 

オランダ旅行のときも感じたけれど

海外に出るということは、自分との対話をするいい機会だと感じる

自分探しの旅に、とよく言うように

 

知らない世界を知る、ということは

それに反応する、知らない自分を知るということ

そんな風に思う

 

 

ところで、今の学校での時間は

残り1週間

残り少ない時間を、どういう風に過ごしたいか

できるだけ生活の断片を、フィルムに収めておきたい

もっとあの穏やかな森を散策したい

 

そんなことを思いながら、日々の小さい変化を拾うのを大切に、今日も

 

2018/11/26

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ここでは、

モーニングアッセンブリーという、朝9時から30分ほどの朝礼で1日が始まる

 

ソングブックの中からひとつ歌を歌ったあと、

先生たちが毎日交代で、おもに哲学や歴史について話してくれる

 

むつかしい話も容赦なく語るので、実は理解できていないことの方が多かったりするのだけれど

なんとか耳まで辿り着いてくれた音を繋ぎながら、話の内容を想像したり

くるくると他のことを考えたり

 

朝のすっきりした頭の中に、思考のかけらが入ってくる

わたしにとってはけっこう、好きな時間

 

ただ、わたしの場合、

外国語で生活している、とはいっても

何かを思考するとき、日本語で考えを組み立てていくのには、変わりないので

 

デンマーク語で先生が話すのを

英語のトランスレーションを通して聞き

さらに日本語で考える

という、すこしカオスな状況

 

最初の方はこれに慣れなくて、

とくに初日なんかは、この先やっていけるのか、と

すこし落ち込んだのを覚えている

だいじょうぶ、慣れるよ、ちゃんと

 

もうあと少しで、今のホイスコーレとはさようならで

1月からはまた別のホイスコーレに通う

 

きっとまた、新しさに怯んでしまうこともあるんだろうけれど

だいじょうぶ、慣れるよ、ちゃんと

と、唱えていく

 

 

”しなかった事”より

”した事”に目を向けて、自分を褒める、認める

そうやって今日も、今日を終える

 

 

2018/11/25

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きょうは日曜日なので、授業はなく

お昼過ぎに、

先生がこの町のクリスマス・マーケットに連れていってくれるらしい

小さな田舎町だから、きっと小規模なものだろうけど

本場のクリスマス・マーケットは初めてなので、少々わくわくしている

 

ブランチの時間まで、読書をする

ブランチまでにシャワーを浴びようと思うけれど、読み進めるのを止められない

 

いったん文章に夢中になってしまうと、空腹や、睡眠欲を忘れてしまう性分

 

読書で時間を忘れて、気が付いたら真っ暗な部屋で本を読んでいて、

母に、夕食だから早く食卓に下りて来なさいと、よく階段の下から呼ばれていたのを思い出して

小さく懐かしさと羨ましさが掠める

 

クリスマス・マーケットに行ったら、写真に収めて母に送ろう

きっと羨ましがって、その次に、

元気そうでよかった、と言ってくれる

 

離れているのに、近くに感じる、という

この感覚は、いつまでたっても不思議でたまらない

 

いつでも、どこにいても簡単に連絡をとることができる、

携帯という文明機器のおかげなのか

 

それとも

遠くにいるからこそ

余計な感情を脱ぎすてて、まっすぐにお互いを見つめることができるからなのか

 

後から、灯台下暗しだったと気付く、なんてことが起こらないように

半径1メートルにあるものを、

きょうも大切に

 

2018/11/23

アイデンティティについて、考えたこと

 

わたしは、ここに来る以前に大学で

アイデンティティとは何か、という事や

移民難民や在日外国人のそれについて

学ぶことが多かった

 

アイデンティティという言葉に対する

辞書による定義や、教授や生徒たちが前提としている意味合いは理解できた

 

けれど、

純日本人で、日本語を話し、ずうっと日本に住んでいるわたしは

いまいち、その単語を、自分のものに出来ずにいた

 

 

今生活している学校には、いろんな国籍やバックグラウンドを持つ30人くらいの生徒がいるのだけれど

その中のひとりに、アメリカにルーツを持つ、わたしとちょうど同い年の男性がいる

 

彼は、何年もデンマークに住んでいて、デンマーク語も難なく理解できる

この学校の学期が修了したら、もともと住んでいた家のある

デンマークのオールボーという所に帰るとも言っていた

 

けれど、彼は間違いなく、アメリカ合衆国に原点をもつ人間である、という

アイデンティティをもっていると思うのだ

 

彼は、まあ、見た目でいえば典型的なアメリカンボーイであるし

話す英語も、ばりばりのアメリカ訛り

でも、そういうことではなく

 

彼は、ほんとうにアメリカ合衆国という国について詳しいのだ

彼と会話をしていると、

今日はアメリカにとってこういう意味を持つ日なんだ、と教えてくれたり

アメリカはこうだけど、日本だとどうなの?と尋ねてきたり

話し始めたら、言葉通り、際限がないほど

実に詳しいのだ

それと同時に、勉強熱心でもある

 

単に出自がどうだから、というだけではなく

彼の広大な興味関心の海の、ちょうど真ん中に、

アメリカという概念が立体的に浮かんでいるんではないかなと、わたしは推測している

 

それはきっと彼の過去や

彼の有する知識が、そうさせている

 

と同時に、

彼は、自分で選んでそうしている

そんな気がするのだ

 

そして、わたしは、ああそうか、

と腑に落ちた

 

 

アイデンティティなるものって

出身国、言語、文化、宗教、見ため、在住地、などの

その人をとりまく外部要因によって決定づけられるように見えがちだけれど

 

本来ならば、その本人が

どういうアイデンティティを持ちたいかを、

本人の意思によって決定づけられうるべき、もの

 

そういうものなのではないのかな、というかそういうものであるべきなのではないかな

 

あなたがなにを拠り所にしていくかは、あなたがきめていい

 

 

 

2018/11/22

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前回から、すこし間が空いてしまった

デンマークの、今わたしがいる場所では

もう雪が降るのを待つばかり、と言わんばかりの寒さ

白い起毛の、もこもことしたフリースが、室内でも手放せなくなっている

 

3日前まで、オランダのアムステルダムに、行っていた

実は、人生ではじめての一人旅だった

 

とはいうものの、正確にいえば友人と目的地まで行ったり、

同じ場所に滞在したりしたので、

完璧にひとりではなかったのだけれど

 

ほとんどのことをひとりで対処して、

何処へいくか、何をみるか、

みんなひとりで考えて、歩いて、

これは、一人旅デビューといってもいいものだな、とひとりで納得したのだった

 

アムステルダムの街は、月並みな言葉になるけれど、ほんとうに美しかった

水路にはさまざまな船が浮かび、

きちんと整列した、ブラウンのグラデーションのような建物が並ぶ

 

街灯ひとつをとっても、細かい細工がしてあり、ブラウンのそれはつるつる光って

夜になると街を暖かい色で、照らしていた

 

トラムに乗り、最初の目的地である国立美術館にむかったとき

窓から見える街並みに、ほくほくと気持ちが高まったのが、忘れられない

 

運河沿いを散歩すると

感動ともいえそうな気持ちと一緒になって、気のせいかもしれないけれど

自分の肌にすっと馴染むような感覚がして

 

ステレオタイプかもしれない風景を、いざ肌身で感じてみることは

驚くほどに、いいものなのかもね

 

こうやって、頭の中に文字として記憶されていた場所が、温度をもつのだな

と知る

 

3つの美術館を巡り、運河沿いの地区を歩く

アンティークのお店やカフェ、ブティックに混じって

ちいさなギャラリーがいくつも点在していた

 

素敵な場所に全部立ち寄っていたら

寿命が尽きてしまいそうだな、と、ふっと考えてしまったくらい

それはもう沢山

 

事前に調べていた場所はほとんど行くことができたし

じぶんのアンテナが素敵な場所に導いてくれるようなことが何度か、あった

 

自分のサイズにぴったりな、古着のパンツとスカートを見つけ

ずっと探していたような色形の、ビンテージのワンピースにも出会い

偶然見つけたデルフト焼お店では、ちいさなタイルを、

蚤の市では、人の良さそうなご夫婦からアンティークのロウソク立てを買い

 

街並みや空間と同じように、すてきなモノにも巡り合えた

 

友人は、旅先では建築物と街並みに傾注するようだった

きっとわたしは、旅先で出会う、モノに対して、特別な感情をもっているのだな

と感じた旅だった

 

2018/11/08

 

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わたしはここに来てから、サイクリングの授業をずっと、取りつづけている

はじめてサイクリングをしたとき、どこまでもつづく、緑の丘と、ふかぶかと木々が生い茂る森と、さわやかな海と、当たり前のようにそこにいるウシやヒツジなどの動物たち、あとは上を向いたススキのようなものが延々とつづく道なんかに、感極まった

自転車で近くの古城にも行ったし、緑のトンネルも抜けたし、海辺も走った

どこを切りとっても絵葉書にできそうだなあ、と、毎度静かに感動する

 

サイクリングをしながら、そこに暮らす人たちの生活を想像することも、とても好きだ

たとえば、海辺にはかならずといっていいほど、海を眺めるための2、3人掛けのベンチが、ぽつんと、そこにある

きっと、人びとにとってそのベンチは、座っておしゃべりしたり、もしくは何もしないでいる、日常なかの余白なのだろうな

何もしない時間、一日の儀式的な流れをいったんとめて、空気をいれる時間

たぶん、彼らの中には、無意識かもしれないが、そういう時間を大切にする文化がある

そういう時間のある生活を、わたしも取りいれて帰りたいなと、心のなかでひとり頷く

少しだけ、新しい私で帰りたい、というのは、毎日小さく思っていることだ

 

ところで、最近の景色は、もったいないくらいに、とんでもなくきれいだ

あふれんばかりの色を取りこんで、視覚を楽しませてくれる

緑の豊かな8月から、ずいぶんと、景色が変化したんだなあ

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緑といえば、こちらの緑はほんとうにきれいな緑色をしている

カンバスの上で、みどり、むらさき、あお、きいろなんかを絶妙に混ぜたような、現実離れした、うつくしい色

持って帰ってしまいたい色だ、と思うけど、ここにあるからいいんだろうな

2018/11/07

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デンマークに着いてから、もう3ヶ月が経とうとしている

 

留学がはじまったら、

気づきや学びをブログを残すんだ、とか

これまでの紆余曲折を発信するんだ、とか、ぐるぐると考えて、意気込んでいたけれど

どうやらわたしには、きょうその日を振り返って、言葉にするくらいがちょうどいいみたいだ

 

生活に慣れたらはじめようと思っていた、ブログを立ち上げるのに3ヶ月もかかってしまった

生活になじんで、心がなだらかに落ち着くまで、わたしにはこんなに時間がかかるみたい

またひとつ、自分のことを知れた

 

きょうは、朝起きて窓の外をみたら、息をのんでしまった

おもわず写真をぱしゃり、と撮って、しばらく眺めた

友人いわく、”この世のけがれをすべて捨てたような” 景色

窓からこんな、ほんとうに素敵な景色がみれるなんて、心がきゅうっとなる 幸せをかみしめる

 

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ここの人は、ほんとうにざっくばらんにコミュニケーションをとってくれる

たとえば、わたしの英語が拙くても、

たとえば、いつも一緒にいるわけじゃないが会えばあいさつをするような、微妙な間柄でも、

気後れせずに話していい空気感がある

人間関係がそんなに構築していない人たちの会話に入っていくことに対する、暗黙の了解のような、あの不確かな気まずさや躊躇を、今まであたりまえだと思っていたが

こちらでは、そんな細かい気苦労は不必要らしい

みんな、気持ちいいほど、そういうことに興味がないのだ

それが分かるまですこし時間を要したのだけれど、分かってしまえば、とても居心地がいい

わたしも、みんなのように肩の力をぬいて、フランクでありたいし

この感覚を持ってかえりたいと思う